めまぐるしさと邂逅とげる

 

 先週の筆記が通っていた。メールの中身を確認したあと晩ごはんに出て,戻ってくると面接の日程が半分満席になっていた。就活における時間資源って,みんなすごく重く見てるのだなぁ。有利不利はともかく。

 

 さて,今週はとにかくES,ESの中身を考えることに神経を使った。ネタが存外あったことに安堵し,論理立てて読ませるだけの話になることに心弛び。……そう書けば物事は全て順調に進んでいるようだけれど,達成に至るまでの過程で何度か折れかけた。即興でやってきたことを精査すると,必ず穴があるわけで,それをまじまじ見ては繕う作業のルフランに,僕は相当疲弊したのだった。

 自分を見つめる作業さえなければ,いまだってこれからだって我こそ完璧超人なりと言い張れるのだし,弱みを見せるのは自分に対してだって気分の良いものではないのだなぁと痛感する。見た結果,思っていたほど不足した人間でもないような印象だったので,なんとか耐えたのだけれど,この作業をまともにこなせる人間はそうそういないんじゃないだろうか。本当にキツいし辛かった。 

 そんなこんなバタバタやっているうちに,サマーインターンシップの申し込みを一社逃した。逃してから考えてみれば,無理に出すところでもなかったし,むしろそこで一息つけたのが大きかったように思う。吹っ切れてから,文字に起こす速度が正方向にずんずん伸びた。

 就活の話ばかりではつまらないのだけれど,ここ最近の僕だったらこの作業に忙殺され尽くしている。不本意ではあるんだけど,経験したことがないものだからそれはそれで良いのかなとも思う。最低限は常にこなしているつもりだし。

 

 

 つらつらと,働くことについてよく考えるようになった話でも。

 生涯賃金と言われているものがあって,これが大体2億後半。僕が社会に出てから,これを稼ぎ切るまでに何年かかるだろうと考えた。普通にやれば30年はザラだ。でも,僕にはひとつやりたいことがあって,そんなに長いこと働き詰めるわけにもいかない。15年でどうにかしようと考えれば,平たくして年に2k万必要で,これを実現できる仕事といえば限られてくる。

 終身雇用が潰えたとか,プロジェクトベースでの雇用体系に切り替わるだとか,そういう話はよく出てくるのに,アーリーリタイアの話なんて殆ど聞かない。定年という概念は,何故か残っている。つまり,社会がどう変化するにしても,働き続けることそれ自体は永遠の前提になっている。

 僕はなにかおかしいと思う。

 働くことそのものに何か意味を見出すに至っていないから,そう感じるのかもしれないけれど,無為に働いて辛い苦しいというくらいなら,早いとこ稼ぎ切ってイチ抜けたとやればよいのに。と思う。

 翻って,僕の周りに,経済的理由を除いて『仕事なしでは生きられない』という人はどのくらいいるだろう。やめられねぇなこの仕事,って感じの。知る限り,いない。聞けばそう応えて自らを納得させる人なら相当いるかもしれないが。ワーカホリックと言わば言え,働き続ける意味があるならそれで良い。

 どうせやらなきゃいけないなら,楽しくやるか,命令的拘束に従わなくて良い条件を作るか,どちらかもしくは両方を選択すべきで(どちらも不可能かコストが高すぎるというなら現状に甘んじるしか無いのだろうけど),僕は楽しい自由への道を選ぶことこそが,就活における取り敢えずの成功だと思うのです。

 

 

 少し長くなってしまった。

 そうそう,自主ゼミで文明論之概略をだらりんと読んでいる。論理的であること,大局観を具体例から引くこと,ものの書き方としても結構勉強になって良い。最近では政治学の基礎文献セミナーでも手抜きばかりだったから,固めのものをしっかり読む感覚を取り戻すきっかけにもなっていて,なんだか6月半ばに掛かってやっと慣れてきつつある。

 

 めまぐるしさというものに対峙する方法を思い出しつつある。