解説にかえて

 

 記憶のトリガーというのは意外とその辺に散らばっていて,たとえばぼくはアスファルトの罅を見れば高校2年の夏を思い出したり,名古屋言葉を聞けば懐かしい顔が浮かび,横断歩道を渡るたびに小学生時分に戻ったりする。政治の話を見かけるたびに,あの先生ならどう考えるだろうなどと思いを巡らせてしまうし,コーヒーを飲むたびに実家はどうだろうと気に掛かってしまう。

 

 音楽や文学もまたその類の代表例ですね。

 頭の中で最近無意識に鳴っている音楽をつらつら辿って行くと,意識的に考えているところにたどり着いた。トリガーを探知する逆再生の自己言及,そして限りの見えない増幅。猩々緋からはじまって,思い出になる前まで。

 好きな本は大体人に貸すか奨めるので,その感想をもらうことも多く,書棚に並んだお気に入りを眺める度に様々目に浮かぶ。ぼくは人に何かモノを伝えるというのがそんなに得意じゃない。だから,ぼくが誰かに伝えられた感想は殆ど総て敬意とともに覚えているし,そこでやっと,自分がどんな事を考えたのかやっと整理できるといった感じだ。思い出すたびに思い,ぼくの中で収束する。

 

 ここに無いということを描写するのはとても難しいのだが,ここに無いものや人を思い描くのはあまりにも容易だ。トリガーなどと格好付けたが,なんてことはない,引き出される記憶が強烈であればなんだってトリガーになり得る。結句そういうわけで,トリガーをいくつ持っているかよりも,トリガーによって導かれる物語をいくつ持っていますか,それがもしかしたら,貴方の豊かさかも知れませんね,という話。

 

 すべてがトリガーになるような存在だって無いわけではない。ぼくがつい最近ぼんやりと思ってしまったのは,つまりそういうことだったのでしょう。