私は泣いたことがない

 

 というのは言い過ぎにしても,僕の記憶にあるうちで,人前で泣いたのは一度きりだ。しかも理由がひどくて,自分で立てた規範を自分の論理で崩してしまったからという,なんともよくわからない原因。

 

 何かと泣ける人を羨ましく思うのもあり,たとえそれがシラフでないにしても,感情のレンジが広くて素敵だと感じる。

 自分が弱いこと,哀しいこと,泣くことでひっくるめて素直に表現できたら,僕はなにも書けなくなっていたかもしれない,そう考えて強がりもするが,いくら感傷的になってもうまく泣けないからどうしようもない。

 こみ上げてくるところまではよいのだが,どうも実際涙が出てくる手前にハードルがある。耐えるでもなし,泣き方を思い出せないのかもわからない。自分との距離をゼロにできないというか,理由を探してしまう癖は常にあるのだけれど,そういう問題じゃなく,とにかく泣けない。

 そんでもって,たぶん泣けた時には,またメタに,「ああ巧く泣けたな」などと思うのだろう。嫌なやつだ。

 

 きっとぼくは泣くのがこわいのだと思う。それは,人の性質が組み合わさってこわいのだ。変化を恐れることと,経験に依存すること……ぼくの場合は成長の過程で泣く機会がなかったから,どう泣けば良いのか,泣いたあとどうすれば良いのか,殆ど知らない。振る舞いようがないのだ。

 

 泣けないことを指して感情のコントロールなど笑止千万だけど,表面的に見ればぼくは感情の薄い冷たい人なのだろう。それならそれで都合が良い,分かってくれる人以外周りにはいないから何の問題もないのだけれど,そんな甘えたような発想も学生までなのかしら。

 生活が失われていくとき,良かれ悪しかれ変化は逃れようもなくやってくる。セルフチェックできる材料があるのは結構なことだけど,そんなのも思い出せないような激流だったら少しやだなぁ。学生であることをやめた友人の多くは疲れていて,でも改めて言うほど変わってもいなくて,それはギリギリのライン上なのかもしれないね。

 

 哀しいことで泣きたくないけど,いつか嬉し泣きしてみたいです。次泣くときは嬉し泣きが良い。

 

 おちなし。