会田誠とミュシャをパラレルにする森さんの話

 

 もう10日ほど前のことだけど森ビルのてっぺんのあたりに行って美術鑑賞に現を抜かした。やってたのは会期も終わりかけの会田誠展と,はじまったばかりのミュシャ展。なんで行ったかというとWAKOのJoan Jonasが気付いたら終わっててつらたんだったから。

 

 割と前だしメモ採りながら見たわけでもないから,細かい感想は脇において,印象に残ったところだけ書きおくことにしーよお。

 

 

 まずは会田誠から。とはいえ吾嬬竜孝あたりをぼんやり追いかけ続けていることもあり,鮮烈な印象なんてそもそもあまりないのだけれど。もっとドヒャーって感じだと思ってた。まあいいや書こう。

 

 えーと,奇を衒っている感じがあまりしなくて拍子抜けしたあとに,それにしては頭おかしいことやってるのかと思い直して,ああすごい人かもしれないな,と感じたのが最初。

 あとぼくは大きい作品作れるのはそれだけで評価してしまう。滝にスク水のやつとか,女子ミキサーのとか。掛けた時間に単純比例した評価を与えている気がしてあまり良い癖ではないような。大きいと一旦思考停止して,そこから発想やら何やらを捉え直すのにかなり時間が掛かる。ので,大作の多い展覧会はなかなか抜け出せなくなる。なんでだろうなぁ。自分にはできない,って所で評価しているのかな。そうだとしたら合わせ技一本で見る目無さ過ぎる。

 

 しかし,それは常々やってしまうぼくの癖であって会田誠とは全然関係ない話である。会田誠で一番面白かったのは18禁部屋。作品そのものは会田誠の頭のなかを刳り抜いてきたようなものが並んでいて,それを伝える技巧にはまあ感心するのだけど,一番凄いのはそこではなくて,その場にいる全員が真剣(ぶっているのだろうな,たぶん,本当のところどうだかわからないけど)に,作品一つ一つを見遣っている光景なのである。

 これはまことにシュールでよい。

綺麗なお姉さんからピシっとしたおっちゃんから,へらっとしてる学生まで,みんな真面目に見てるんですよ,女性器に触手がぶち込まれている一枚絵を。犬のように振舞い扱われる少女を。何考えて見てるんだろうね,あの空間にいる人達って。場所が自室であれば自慰行為の前哨戦かもしれません,publicという単語は露出嗜好を示すと聞きますが……。

 というわけで,あそこは六本木で最もインタラクティヴな部屋だと思うよ。あの仕掛けはいいね,入り口も18禁コーナーそのままだし。

 

 

 ミュシャ展は言うまでもないでしょう。あらゆる絵に神秘性を纏わせていて不思議。しかしなぜだろう,政治思想が入ると,途端に魅力が失われていく風に思う。宗教もたまにその気がある。ルオーがそれで,受難のシリーズが結構苦手。ミュシャはとても器用に描き方を変えるけれど,それでもなんだか馴染まない。

 好きなポスター3つ選ぶとしたら『冬』,『メデイア』,『モナコ・モンテカルロ』です。一番好きなのは『メデイア』。でもひとにあげるとしたら『冬』ですね。或いは『ビザンチン風の髪飾り(ブロンド)』。メデイアはちょっと迫力ありすぎる……。

 

 都合3時間ほど掛けてぐるりとふたつ見たら結構疲れました。組み合わせの所為かも知れないけれど,意識的に受ける影響はそこまでではなくとも,やはり感受性は応答しているみたい。疲れが深いほど,振り返ると存外思い出せる不思議。この感覚がたまらなくて美術館に足を運ぶのだろうな。

 

 ちなみに鑑賞後はその足で神田神保町に向かい,小宮山書店のガレージセールで展覧会図録と画集を3冊500円で贖いました。どうせやるならどっぷり浸かるのが好きです。おやすみなさい。