カメレオン.psd

 

 どうしてもそうしたかったから相手に合わせて動いていると,色々と伝染った。

 手のジェスチャーが増えたり,語呂遊びが増えたり,お菓子を作ってみたりする。

 

 最近だと動きの重さで体内環境を感じるようになっていたり,少し甘い喋り方になったりして。世には同族嫌悪というのがあるらしいけれど,佳いと思われコピーされている分には,悦んで付き合ってもらえる。厭なところも高く評価されれば大概受け入れられる。そんな手の内で動いている,わけじゃないけれど。なんだか真似してしまう,好きだと仕方がない。

 

 そうして,ぼくの周りにはぼくが好きな人しかいないため,ぼくは彼らの良いとこ取りでできているはずで,結局どうしても愛されるんだなぁと思います。自分自身の結果と言うよりは,置かれた幸福な環境の反映として。原型は親が作ったものだし。

 ひとつでも欠けてはいけなかったはずなんだけれど,何にか分からずひどく疲れてしまい振り払ってしまったコトヒトモノもたくさんある。そこで絶えてしまうべきだったのに,もらったものの残滓だけでも生きていけるなんて,逆説的に素晴らしい。

 

 自身の能力とは全く関係のない部分で生き永らえてきたこともあって,働くのが非常に恐いのだけれど,同じ理屈で進むなら何も恐いことはないんだろうなとも思う。それでもどうしたって,自身に自信がないのは変わらなくて,見える能力を伸ばす術を求めて足掻いている。冗長性としての能力。

 

 昨日だか一昨日だか,友人が興味と恋愛の境目はどこだろうかと吹っ掛けてきた。ぼくはそれに,視点と対象の変化だろと応えた。翻って考えるに,その定義だと僕の好きはどこまで行っても恋愛になり得ない。

 そんなことないと思うんだけど。

 好きなもんは好きでいいじゃないかとも思う。それが恋愛であってほしいと願われたなら,きっとそうなる。どこまでもカメレオンだし,編集は已まないし,そしてまた,望まれるまで動けずにいる。