赤いリボンもキリリと

 

 ノートのことを物理筐体と呼ぶIT系アイドルと飲んだりした。取り急ぎ,仕様を満たすべく何かを書く。

 

 兎にも角にも,書くことから離れていたかのような数カ月でした。ちょこちょことイベントがあったりして,あとはもっぱらそれに割くようなこともできたりして,表向きは長い文章を殆ど書いていない。表や裏と言ったって,別段公的な立場があるでもなし,勿体ぶるほどのことじゃないけど。短文投稿サイトにはそこそこ投げてあります。あとは,アナログなノートにいくらか落としてある,中くらいの長さの文と。一番長いやつだと,修論の中間要旨か。あとは最近のお仕事で,報告書のおもちゃみたいなただの翻訳文をちらちら。

 

 なぜブログの記事を書かないか。それは,対象と自分の視点が重複し過ぎていて,身動きが取れなかったからです。私的に過ぎるので,書くこともない。一応の専門である政治の話をしてもよい,ただそんなつまらないことはわざわざしたくない。身も蓋もないけれど,データが取れて,意味付けができれば,それで良い。単純なお作法の問題を,語ることもない。

 何のためにここに書くのか。といえば,専ら自身の快楽のためで,どこか他所からみた価値や意味などは割とどうでもよいのです。前段と後段の矛盾するところ,褒められるのはうれしいし,だから今こうやって書いているのだけど。

 

 最近あったことでも書こうと思うも,職務遂行上知り得た機密とか云々うるさいのできっと難しい。全然機密じゃないやつだと,アジア地域でそこそこ売れてる解熱鎮痛剤が”Tempra”って名前だということくらいしか面白いことがなく,なんだかなあもう,といった様子。

 

 話を聞く側の人間だという自己評価が崩れ,やたらと饒舌になり,聞かれてもない自慢や瑣末なエピソードを滔々と口から出るに任せてしまったのが昨日の夜の話で,なかなか稀な存在であるなぁと深く感銘を受けた話を詳しくしようかと思ったけれど,新規性がない。あるのは再現性ばかり。それはかなり大切なことだけれどね,反復試行に耐えられること,ルーティンをそのものとして実行できること。

 語らせる女はいい女だし,ゆっくり愚痴られる男はいい男である。語る側にあるサービス精神と沈黙への畏怖も,語らせる要因ではあるけれど,アイドルはそこんところクリアにしても語らせる。ビールにレモンスライスが浮いていただけでは喋りません。

 

 

 突発勃発アフターシックス,社会人も悪くない気がしてきました。

 少しずつ変節を認めながら,肯定しながら,反転させながら生きていくのです。ロマンチストですら,そう生きていくのです。次は何を書こうかな。逆接の少ないものがいい。