変身

 

 

 中学の頃からだろうか,規則に区切られた時間の中で意識するのは,能力や技術をいかに効率よく伸ばしていくかということではなく,効率よく時間を経過させることでしかなくなった。無論,能力も技術も経験に従って身についていくけれど,そんなことはどうでもいい,束縛的な時間から逃れることだけを考えていたように思う。

 

 何かができるようになるのを異常に恐れていた。何者かになるということは,この生の完成で,死の手前のように思えた。何者にもならないことで死を避けられるとは思っていなかったけれど,加速度的な無への接近よりはマシだ。人よりも少しだけ飲み込みの早かった少年時代,部分的な完成が欲しくもないのに通り過ぎて行って,それにはもう抗わなくなっていたけれど,積極的に手に入れようなんて微塵も思わなかった。

 何かに打ち込んだ経験なんて今でも殆ど無い。全て中途半端にとどめている。もう,もしかしたら熱中なんてできなくなっているのかもしれない。セーブしていたつもりが,不能になっていて,でもそれが望んだ結果だから仕方ない。そこそこでもどうにかなる環境にしか身を置けなかったのも事実だし,来年からの環境がそれを許してくれないであろうこともわかっているから,本当はどうにかしなければいけないんだろうけど。

 

 束縛から解き放たれた僕が何をするかといえば,ひたすらだらだらするのみだった。自分の裁量でできる回避が,まあ逃避でもあるのだろうけど,怠惰しか考えられなかった。唯一,本だけはよく読んだ。小学校までは雑学ばかり,中学からは小説にシフトした。小説は良い。いくら読んでも,自分自身が何者かになる心配がないからだ。自分の中に何者かを置いて,動かされて遊ぶ。変化はない。そうして遊んでいるうち,自分をどこまで操作できるかということに思いが至った。

 

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 さんざ書いたけれど,これは臆病と無責任の出処を確認する作業であって,モノローグにすらならない。前者はさておき,後者は赦されないから,操作もいい加減止そうと思う。あとに何が残るだろう。享年25で,また来年。