与える男

 

 今日は朝起きなかった。朝ごはんも昼ごはんも食べなかった。夜は新代田に行きたいし,川端を読みたいし,美味しいコーヒーを淹れて飲みたいという3つの欲求に勝てなかった。

 

 否定が疲れるのは,肯定が自然だからなのだろうか。

 

 肯定でも否定でもなく,ためらいだけが偶然を作り出している小説を読み終わった。成行日和見でのらりくらり来て,よくわからないまま愛されてきた身には少々堪える内容だった。毎度どうも,変えよう改めようと思うのだけれど,甘やかされるのを押しやることができずにいる。 

川のある下町の話 (新潮文庫)

川のある下町の話 (新潮文庫)

 

 善意無過失だろうと,薄っぺらい決心だけでは,大きな偶然に勝てないという説話でした。それとも,避けられるであろう偶然が多いんだから,過失はあったと見るべきだろうか。無責因という当て字を何処かで見た。

 人にはおすすめしないでおこうと思ったけれど,素晴らしい後期作品である。

 

 動かされたくなければ自分から動けばよい。他者意思の関与が問題となる場合はそれで良い。でも,動きたくない場合はどうだろう。自己意識の問題だ。動くのは正解なのだろうか。僕は動きたくないから動かないのだけど,もしかしたらもうひとつヒネったやり方があるかもしれない。

 

 転倒的な正しさは,ただただ転倒的であるだけなので実は超シンプルなのだけど,なかなか受け容れられない。急がば回れ,巧遅は拙速に如かず。分かっちゃいるけど踏み出せない。